「台所のおと」(幸田文)

香り立つような日本語

「台所のおと」(幸田文)
(「台所のおと」)講談社文庫

「台所のおと」(幸田文)
(「百年文庫005 音」)ポプラ社

病床にある佐吉は、
台所で働く妻の音を聞こうと
寝返りを打つ。
妻・あきは、夫の治らざる
病状を悟られまいと、
気持ちを押しとどめて立ち働く。
しかし、
佐吉はあきの「音」の変化に
気付いていた…。

作品名のとおり、行間から
「台所のおと」が聞こえてきます。
静かで優しげな、
それでいてみずみずしく鮮やかな音が。

「水栓はみんな開けていず、
 半開だろうとおもう。
 そういう水音だ。
 受けているのは
 いつも使っている洗桶。
 最初に水をはじいた音が、
 ステンレスの洗桶以外の
 ものではなかった。
 水はまだ出しつづけになっている。
 きっと桶いっぱいに汲む気だろう。」

「流れ水にして、
 菜を洗い上げている。
 佐吉はその水音で、
 それがみつばでなく京菜でなく、
 ほうれんそうであり、
 分量は小束が一把でなく、
 二把だとはかって、
 ほっとする安らぎと疲れを感じる。」

佐吉とあきは
20歳も年の離れた夫婦です。
しかも、お互いに何度目かの結婚の末
たどり着いた生活です。
しかし佐吉は不治の病に倒れます。
医者から本人に悟られぬよう
指示されているため、
あきはその悲しみを一人で抱え込み、
そして奮闘しているのです。

「これはどういうことだろう。
 愛情をみつめれば
 心はひそまるものを、
 重病に眼をむければ、
 ひそまっていた心は
 忽ちたかぶり緊張し、
 気持に準じて手足も身ごなしも、
 きびきびと
 早い動作になろうとする。
 そしてそれはなかなかに
 悪くない感じなのだった。
 軽快であり、なにかこう、
 勇んでいるような趣があった。
 気高くなったような気さえする。
 気に入った感じがあるのだ。
 これはどういうことなのだろう?」

外界の細かな変化を、
擬音語を一切用いずに
音として感じさせる。
一方で人間の内面の揺れ動きを、
読み手に自らのもののように
感じさせる。
香り立つような日本語による、
圧倒的な表現力です。

「久しぶりの雨だねえ、
 しおしおと。」
「雨じゃありませんよ。
 あれ、油の音だったんですよ。」

あれほど音に敏感だった佐吉が、
揚げものの音を雨と間違えます。
佐吉の命の終末をさりげなく伝え、
それでいて重苦しさを微塵も残さず、
物語は結ばれます。

(2020.4.21)

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

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